冬の日、喫茶店にて



 一月のある日のこと。部活を終えて下校中、音哉はお腹が空いたとうるさい鳴海のために二人でカフェに入った。
 メニューを見ながらうんうん悩んでいる鳴海にしびれを切らした音哉はさっさとカウンターへ向かう。それに気付いた鳴海も慌てて音哉の後ろに並んだ。

 ちなみにいつも一緒に帰っている奏斗と律はというと、この時期はアンサンブルコンテストに向けての練習をメインにやっており、パートの違う音哉と鳴海とは練習が終わる時間が違う日もある。そんな時は先に帰ってていいと言われているし、逆もしかり。音楽室から聞こえてくる打楽器の音を背に受け、頑張っているなぁなどと言いながら、今日は二人より一足先に帰路に着いた。

 鳴海が紅茶とサンドイッチを乗せたトレーを持って、先に席を取りに行った音哉の元へ向かうと、音哉は頬杖をついて真っ暗な窓の向こうをぼんやり眺めていた。右手はひたすらぐるぐるとマドラーでコーヒーをかき混ぜている。心ここにあらずといった様子だ。

 「おとやんさぁ、最近ボーっとしてるけど、なんか悩み事でもあんの?」

 ぼーっとしている音哉に鳴海が声をかけると、音哉はぴくりと小さく身じろいでようやく我に返った。無心でしばらくかき混ぜていたせいで渦を巻いているコーヒーの表面を見つめて、ため息をひとつ。

 ここのところ、音哉はぼんやりしていることが多かった。そのたび鳴海が声をかけるとなんでもないと言って元に戻るのだが、気が付けばまたぼんやりと頬杖をついている。部活中にぼんやりすることはないとはいえ、何か悩み事でもあるのだろうかと鳴海は心配していた。

 「俺でよけりゃ相談に乗るよ?」
 「……まあ、悩み事っていえば悩み事かな」
 「なになに? 恋の悩み?」
 「あほか」

 どうせまたなんでもないと返ってくるのだろうと思っていたら、今回はそうではなかった。鳴海が茶化すといつもの音哉に戻った。

 「来月、奏斗の誕生日なんだけど」
 「ほう。って、そういやあいつ二月生まれだっけ。プレゼントに悩んでんの?」
 「そう。何あげればいいのかいまいちいいのが思いつかなくて」

 そういえば、去年の今頃も同じことがあったっけ、と鳴海は思い出す。去年も同じ相談を持ちかけられて、プレゼントは内容や値段ではなく心だと鳴海の持論を展開したが、悩む気持ちも分からなくはない。腕を組んで、鳴海も一緒に悩む。あれこれ何個か提案してみたが、音哉の反応はあまりよくなかった。

 「あ、じゃあさ、いっそ吹部らしく曲のプレゼントでもしたら? だったら俺も協力するよ?」
 「あ、それいいな」
 「マジかよ! いいのかよ!」

 何の気なしにした提案に食いつかれて、大げさな鳴海はがたっと椅子を鳴らした。

 「でも、何の曲をやるかって話だよな」
 「だよなー。これから練習ってなると時間もあんまないし……。なんも考えずに言ってごめん」
 「いや、その発想はおもしろいと思う。つか、できればやってみたい」

 奏斗の誕生日は二月二日。一ヶ月を切っている上に、アンサンブルコンテストの練習をしながらとなるとさらに時間は限られる。なおかつ、奏斗に隠れて練習しなければならないというのが最大の壁だ。これが仮に音哉の誕生日に奏斗も交えて同じことをしようとしたら、奏斗の家にあるという防音室を借りることが可能だが、ごく普通の家庭に生まれた音哉と鳴海の家にはそんなものはない。

 「あとチューバとユーフォ二本っていうのもなんだかな」

 音哉はチューバ、鳴海はユーフォニウム。ユーフォとチューバがあればバリチューバアンサンブルができるが、そうなると曲の幅が狭まりそうだ、というのが音哉の考え。やはりこういう場合に音楽と楽器に精通した奏斗がいないと大変だ。奏斗がいれば、いろいろな楽器ができるからどうにかなりそうなのに、と思ってしまう。

 「りっちゃんにも声かける? そしたらもうちょい幅広がるんじゃね?」
 「バリチューとパーカスって、そっちのが難しくないか?」
 「りっちゃん鍵盤得意だし、鍵盤いれたらなんとかなんないかなって思ったんだけど、やっぱダメか?」
 「さあ? 俺も詳しくないからよく分かんない」

 そうと決まれば、いつもの四人組の律にも声を掛けるつもりでいた。律のことだから、きっと快く協力してくれるはずだ。しかし、鍵盤がそこに加わったところで、上手くまとまってくれるのか、そうでないのか、二人には分からない。

 「んじゃあ、他に協力してくれそうな奴にも声かけてみる? 二年だったら声かけたら協力してくれると思うけど」
 「そうなると、弦バスと、トランペットと、フルート、サックス、パーカスか……」
 「サックスいたらいい感じにまとまりそうな感じしねえ? あいつ、ソプラノもアルトもテナーもバリトンもいけるじゃん?」

 鳴海の言うあいつとは、茅ヶ崎弾のこと。同じ二年生で同じ吹奏楽部だが、何度かセクション練習で一緒になったくらいで、よく知らない相手だったりする。同じ吹奏楽部でもパートが違うとまったく会話をしない、久しぶりに顔を見たなんてこともよくあること。おまけにクラスも違う。一緒なのは学年と部活だけだ。

 「確かあいつ編曲もできるみたいなこと言ってたし、あいつに協力してもらえたらなんとかなるんじゃね?」
 「んじゃ声かけといて。よろしく」
 「えぇ……言いだしっぺはおとやんだろ……」

 弾が協力してくれれば力強そう、とは鳴海に言われて音哉も思ったのだが、正直あまり関わりたくない相手だったりする。サックスにかける情熱はすごいと思っているが、とにかくプライドが高く自己中心的な性格だ。おまけに言葉には棘が含まれており、しかし言っていることは正しい。なおかつ本人の実力も本当なので言い返せないという性質の悪い奴だ。

 「……まあ、それは最終手段ってことで」
 「……そうだな」
 「その時は俺が行く」
 「ファイト! おとやん! 教室の前くらいまでなら着いてってやるよ!」

 できることなら関わりたくはないが、どうしても無理だったら声をかけてみることにする。その場合は自分で行くほかあるまい。自分のことなのだから。

 「つーか、メンバーの確保より先に曲決めないと」
 「そうだな。そっちが先だよな。やっぱバースデーソング?」
 「とりあえずはそうだな。帰ったら探してみる」
 「俺もアイディアくらいは出すし、あんま協力できないかもだけどなんかあったら言ってくれよな! 俺も帰ったら探してみるわ」
 「……ありがと」

 自分よりも張り切っている鳴海を見て、音哉はやれやれといった表情でぬるくなったコーヒーに口をつけた。


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